自身の体験談「クローン病⑤」
ついに食事をする日がやって来ました。
確か、お昼だったと思います。
夏休み前日に、学食を食べて以来の食事で、正直嬉しいんですけど、怖い方が勝っていました。
絶食が確か、2~3ヶ月ぐらいで、その間、姫路ではエレンタールとエンシュアリキッド、水、お茶、
兵庫医大では、エンシュアはなくなって、スポーツドリンク、アメ、ガムがOKになっていました。
久しぶりにする食事は感動もありましたが、ただただ怖がりながらでした。
内容は、白ご飯(お茶碗に半分ぐらい)、茹でた人参とブロッコリー、蒸したじゃがいも、すまし汁?だったと思います。
それを、今までの人生の中で、一番時間をかけて、味わいながら食べました。
正直に言って、美味しいというより、味気がなくて、もちろん脂質がほぼゼロで、ザ・精進料理という感じなので、当たり前なんですが、僕としては涙を流すぐらいの感動が欲しかったです。
味も若干塩味があるぐらいで、今まで食べた、どの食事よりも薄かったです。
すごく時間をかけて、あいつまだ食べてるで、というぐらい時間をかけました。
久しぶりの食事が終わって、少し時間を置いてから、またいつものエレンタールをしました。
ただ、この時、流したエレンタールが、後で大変なことになりました。
エレンタールを確か、3包か、4包流す予定でした。
夕方過ぎに、いつにもなくお腹が張っているのが分かりました。
すぐにエレンタールを止めて、いつものくの字(これが痛い時は、一番楽です)になりました。
そして、また人生3回目の、腸閉塞なる前の痛みが徐々にやってきました。
クローン病になって、思い返すのですが、今では正直なとこ、へっちゃらやったとか、別に大したことないとかって、言うのですが、この腸閉塞になりかけの腹痛だけは、本当に痛くて、これだけは、本当に遠慮したいです。
この痛みは、結婚してからもう1回やってくるんですが(苦笑)
エレンタールを止めてから、徐々にいつもの痛みがやってきて、もう我慢できないというタイミングで、ベルを押しました。
そこから、簡易ベッドに乗せられ、痛みのピークがやってきて、ベッドの上で嘔吐し、その時に思ったのが、忘れもしないんですが、神様にもう一生食べれなくなってもいいので、どうか、この痛みだけは取ってください。とお願いしている自分がいました。
本当に、もう食べることを諦めさせるぐらいの痛みと、大きなショックでした。
今では、そのことを忘れて、平気で食べています(苦笑)
その日は、ステロイドを投与して、痛みはなくなりました。
ただ、ステロイド性の緑内障を持っていたので、両親に使用しても良いかの確認をしてもらい、今回だけということで、投与してもらいました。ステロイドは、その後、何も悪さをしませんでした。
そして、後日、小腸造影をしてもらった結果、狭窄(腸の細くなる部分のこと)が、2ヶ所あって、そのうちの小腸から大腸にかけてのところが、狭窄になっていて、固形物が詰まりかけていたことが分かりました。
ただ、詰まる狭窄ではないと言われて、おかしいとなり、父親が、久しぶりの食事を、白ご飯から始めるのはおかしいと言ってくれ、落ち着いてから、今度は5分がゆからスタートしました。
それで、もし詰まることがあれば、その時は手術ですよ、と言われ、僕は内心、マジかよって、なっていました。
あんだけ痛い思いして、最終的に、はい手術です、ってそれは、本当に勘弁してくれでした。
せっかく久しぶりに食べれたのに、こんな結果になり、この時の心理状況は、大分落ちてました。
その後、また怖々と、食事が始まっていくのですが、もう詰まることはなく、5分がゆから、7分、10分となり、白ご飯までになり、順調よく行ってくれ、ほっとしたのを思い出します。
それと、その時に同時に思ったのは、こういった症例の多い大学病院は、なんか強気というか、他が大丈夫だから大丈夫みたいな、変な自信みたいなものを感じました。
僕も、父親が言ったように、なぜ、いきなり白ご飯を食べさせたのか、今でも不思議ですし、あの選択はどうだったのか、うまくいけば、さすがとなるんですが、結果が結果なので、強気が裏目に出たという印象を受けました。
長い時間、固形物を食べていなかったので、いくらエレンタールやエンシュアリキッドをしていたとはいえ、やはりいきなりは胃腸もびっくりしたと思いますし、良くないなと思いました。
すみません、なんか、この回は愚痴になってしまいました。
これだけが、唯一の?で、あとは、良いことばかりでした。
良かったことは、次回に書きたいと思います。
この時は、よく一人で、屋上に行っては、空や周りの景色を見ていました。
とにかく退屈で、うろうろしていました。
今から、18年前のちょうど同じ夏でした。
本当に懐かしいです。